「これは大変なものができてしまった」
その言葉が頭の中に浮かんだのは、整備工場の休憩室で、スマートフォンの小さな画面を見つめていたときのことです。
ChatGPTに出会った日、元校正マンの僕は震えた
2年前、僕は初めてChatGPTを使いました。最初に試したのは文章の校正でした。言い間違い、入力ミス、時系列のズレ、文体の不一致——それらをAIはあっという間に、驚くほど正確に直してしまいました。
僕はかつて印刷会社で働いていました。その仕事はとっくに退職していましたが、画面を見ながら思わずこう想像していました。もし今も、あの職場にいたら。校正という仕事は、絶滅するかもしれない、と。
渦中にいない人間だからこそ、見えた恐怖というものがあります。距離を置いた目は、ときに現役より鋭く、本質を捉えることがある。そういうことなのかもしれません。
道具への義理、という不思議な感情
先日、ChatGPTのサブスクリプションを解約しました。
理由は単純です。Claude Coworkという機能に惹かれたから。自分のやりたいことに必要な機能が、ChatGPTにはなかった。ただ、それだけのことです。
でも解約ボタンを押す前に、僕は少し迷いました。
節操がない、という言葉が頭をよぎりました。一貫性のなさへの罪悪感、とでも言えばいいでしょうか。最初に衝撃を与えてくれたものを手放すような、後ろめたさ。
整備工場のお客さんで、こういう方がたまにいます。「10年ずっとトヨタに乗ってきたけど、今回初めてホンダにした」と、少し申し訳なさそうに話してくれる方が。
僕はそのとき、何も思いません。その方の今の生活に、ホンダが一番合っていた。それだけのことだと、自然に受け取ります。
なのに、自分のことになると罪悪感が出る。
この非対称性に、僕は長いこと気づいていませんでした。他人の乗り換えはOKで、自分の乗り換えはNGに感じてしまう。理屈ではなく、感性の部分に由来する縛り。義理や習慣が、静かに人を縛っている。
「感情に流される」は弱さなのか
罪悪感の正体は、裏切りへの罪悪感だと思います。
道具を替えるのではなく、衝撃を与えてくれた体験を手放すような感覚。あの休憩室で震えたあの瞬間を、なかったことにするような気持ち。
でも、ふと思うのです。
感情に流される、という言葉を僕はよく自己批判的に使います。でもそれは同時に、深く感じ取れるということでもある。手が震えるほど衝撃を受けられる。道具に義理を感じられる。エンジン音の微妙な変化を「なんか違う」と耳で感じ取る整備士と、同じ種類の能力なのかもしれません。
感性は、弱さではない。そういうことなのかもしれない、と僕は思っています。
道具は目的に従って選んでいい
今後は、ClaudeとGeminiの両輪で使っていくことになりそうです。サブスクに払えるお金は無尽蔵ではないから、という至極現実的な理由もあります。
見積もり書の数字は正しい。でも、その数字が正しいからといって、それがすべてだということにはならない。
道具は目的に従って選んでいい。感情がそれを許さないとしても、頭の中でそっと、自分に言い聞かせてみる。
それで少し、楽になれる気がします。
ChatGPTとClaudeの使い分けについて、もう少し具体的に知りたい方は→ Claude公式サイト もあわせてご覧ください。このブログの書き手・みなおが、AIと一緒に考え続けているnoteはこちら→